ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2016ねん 11がつ 15にち
しんはっけんと いう れきしの ぶたいを きょーとの まちに たずねた。 めいしょ きゅーせきから すこし はなれた ありふれた じゅーたくち。 ばくまつの 1866ねんに さっちょー どーめいが むすばれた ていたくあとだと、 しせいの れきし けんきゅーかが ぶんけんで つきとめた。 ここで じだいが うごいたのかと かんがいに ひたる。
さいごー たかもりと かつら こごろー。 けんえんの なかだった さっちょーの りょーゆーを とりもち、 めいやくえ みちびいたのが さかもと りょーまだ。 きょーわ きゅーれきで いう めいにちに なる。 いしんを まえに いのちを おとして 150ねんの らいねんに むけ、 はくぶつかんで だいだいてきな かいこてんが はじまって いる。
にほんを いまいちど せんたく いたし―。 ゆーめいな ことばを のこす てがみも さることながら、 ふるさと とさの めいに あてた ものが めを ひく。 あばたづらを からかった うえに 「おまえわ せいかくが わるいから おとこが にげだす」と わるぐちの おんぱれーどで ある。
どらまに でて くる ふぇみにすと りょーまと ぎゃくの てがみにわ りゆーが ある。 まさに さっちょーが てを むすぶ ぜんやに かかれ、 すすまぬ こーしょーの すとれすを みうちに ぶつけた ふしが あるらしい。 いまの かんかくなら りかい しにくいが、 これも とーしんだいの なやめる すがたか。
ふたたびの りょーま ぶーむわ もくぜんに ある。 おなじみの えいゆーたちの ていばんの ものがたりだけで げきどーの じだいわ かたりきれまい。 れきしの かげの くのー、 あせや ちを ながした なも なき ひとたち。 つきとめて ひかりを あてたい ものわ つきない。